砥谷海岸の地質調査

山際先生たちが作った一枚のプレパラートから古生代の地質測定をさらに詳しくする研究に挑戦。

普通フズリナは石灰岩の中に含まれていることが多いのだが、今回は砂岩の中にふくまれてい。時代はペルム紀でいいかを再確認し、この地の時代測定を確かなものにしたい。

 鳥羽の地質を調査研究し尽くした産業研究所の内野隆之さんや谷本さんが調査をしてくれた。

 そのもとは山際先生が作成した1枚のプレパラートだった。

 どの石なのか詳しい時代測定をして新たな研究成果を確かめたいと内野さんが挑戦している。

鳥羽恐竜研究振興会もその研究に協力することにした。

 

29日の調査の後、近くの喫茶店で鳥羽竜の発見のことやそれらの経緯のことを化石発見者の谷本さんからいろいろ聞いた。谷本さんは若い時から何度も中国へ行き、昼食を食べる時間を惜しんで恐竜化石を見てきた。その経験があつたから、珪化木ではなく恐竜の化石だとわっかった。そんな眼力が大事だ。皆さんにもそんな経験を積み上げてほしい。楽しい話がいつまでもつつ‘いた

山際延夫先生の顕彰記念講演会の開催

2023年3月25日、鳥羽商工会議所かもめホールで開催した講演会にはたくさんの皆さんに参加していただき無事終了しました。松尾層群を命名してくれた山際延夫先生の業績紹介と共に恐竜化石発見現場で化石採集をしてくれた古屋淳彦さんの化石展をさせていただきました。講師は鳥羽恐竜化石発見者の一人である谷本正浩さんが、山際先生の業績とこれからの研究についての示唆を丁寧に紹介してくれました。

参加していただきましたな様にはたいへんありがとうございました。

古屋淳彦さんの化石展示

古屋淳彦さんは伊勢地学研究会に所属し、長年鳥羽竜化石現場や白根崎で採集した貴重な化石を集めておられます。恐竜化石はもちろん、植物化石やバケベリアの化石を所蔵されています。恐竜化石では密の部分とハバース管などの白っぽい部分がよくわかります。化石の展示台も自分で工夫されていろいろな角度から見られるようにされてあります。

ヤマトサウルス・イサナギイの恐竜化石発見

2022年の5月、兵庫県の淡路島で約7200万年前(白亜紀後期)の地層から見つかった化石は新種の恐竜であることが分かった。北海道大学の小林快次(よしつぐ)教授らのチームが27日、学名を「ヤマトサウルス・イサナギイ」と命名した。淡路島が、神話の「日本誕生の地」とされることにちなんだ。姫路市のアマチュア化石研究家の岸本眞さん(72歳)が2004年に洲本市で歯や首などの化石を発見。これまでに23点の化石が見つかった。アヒルのようなくちばしが特徴で草食恐竜・ハドロサウルス科の仲間で、体長7~8メートル、体重4~5トンと推定されている。(朝日新聞記事参照)

 化石発見者の岸本さんは鳥羽にも来ていただいており、その時、海岸で鳥羽竜の尾椎に当たる化石を発見されている。また鳥羽竜化石発見者の一人である谷本正浩さんもハドロサウルス科の化石研究では

仲間として研究を続けておられた。今回、谷本さんの書かれたハドロサウルス科の絵をご紹介していただいた。真鍋真・国立科学博物館副館長はヤマトイサナギィは絶滅前のアジアの恐竜研究において、日本が重要な場所であることを示唆してくれているようだ。としている。

(絵は谷本正浩さん提供)

鳥羽竜の研究のあゆみ

What' tobaryu?

996年夏、三重県鳥羽市安楽島町の砥浜海岸の崖の中から、貝化石を探索に来ていた四人の化石研究家によって竜脚類の仲間と見られる恐竜化石が発見されました。竜脚類は首と尾の長い四足歩行の巨大な恐竜で、植物を食べていたと考えられます。 

 

この化石を含む地層は松尾層群とよばれるもので、1億3800万年前(白亜紀前期)に形成されたと推定されています。大きくてしかも一頭分の竜脚類の恐竜化石が比較的まとまって発見されたのは、日本で初めてのことです。この恐竜は発見場所にちなんで、「鳥羽竜」と呼ばれるよう考えました。今のところ残念ながら、発見部位が少なく学名を確認するところまでいっていません。

鳥羽竜は発見された骨化石の骨格判定をしたら、当時アジア地域に生息していた大型草食恐竜の「ティタノサウルス」という仲間であることがわかりました。この恐竜は、体長16~18m、体重31~32トンに達する大型の恐竜であると推定されました。現在の陸上動物の中でもっとも大きいアフリカ象の約6倍の重さになります。

 

この恐竜が生きていた時代には、現在のような日本列島はまだ、ありませんでした。おそらく鳥羽竜は今の東南アジア付近の暖かい陸地で生活しており、死んで浅い海の底に埋まった後、その地層が長い年月をかけて、発見されたこの場所まで移動してきたと考えられています

 

鳥羽竜が発見されてから24年をかぞえるようになりました。最近では兵庫県丹波市でも同じティタノサウルスの仲間の恐竜化石が発見されている。 また、新たな発見を呼び起こしたいと願っています。

 

大型恐竜の化石発掘作業

1996年9月、大型恐竜発掘調査団が結成され、現場での化石発掘作業が開始されました。化石の発掘作業はなかなか大変でした。海岸線のすぐそばだったので潮の引いたときしか作業はできません。しかもユンボなどの重機は使えません。やむなくパールロード沿いからコンプレッサーで圧縮空気を送り、削岩機で岩を削っていきました。化石が壊れないように何重にもシリコンラバーをかぶせ慎重にやりました。運び出しは大型クレーンで道路まで引き上げました。現場は鳥羽の足立完工の皆さんがやってくれました。

調査団の作業では、現場の化石を含む岩石にシリコンラバーをかぶせて削岩機で掘り下げ、重機で取り出しました。現場は海岸の潮が満ちてくる時なので干潮の間に作業をすすめました。1996年9月

発掘された化石

 現在までに12個の骨化石の部位が確認され、または推定されていますが、その他にも多くの骨の破片が見つかっています。一番大きな骨は大腿骨(太ももの骨)で、長さは128cmに達します。この骨の両方の端の部分が少しこわれているので本当はもう少し長かったのでしょう。尾椎(しっぽの骨)も4個確認されました。 (写真は大腿骨)

1998年の秋には、発見現場のすぐ西にある地層の表面で、恐竜の足跡の化石が発見されました。この足跡化石は鳥羽竜が残したものでなく、イグアノドンという二足歩行の草食性恐竜の仲間のものであることがわかりました。イグアノドンは成長すると全長9m、体重4.5トンくらいになります。足跡の部分が凸状になっていることから、過去の地殻変動によって、足跡を含む地層の下側が侵食されて、反転して地表に現れたものです。

三重県立総合博物館(MieMu)に展示

イグアノドンの仲間の足跡化石は海岸の波に洗われ、破損していくので土のう袋と石を積んで保護しています。この足型は凹上ではなく地層が反転して凸状になっています。45cmぐらいのものが斜めに並んでいます。その間に断層面があるので保存がなかなか難しいです。左側の部分が少し剥離しています。今は土のうと石積みで保護されています。

発掘されたところ

発見現場は海岸線の切り立った崖の下で、発掘作業は非常に困難で、この岩から化石を掘りだす作業には多くの時間と費用が費やされました。 鳥羽市や周辺地域には、詳しい調査研究がされていない地層がまだまだ多くあります。他の恐竜化石がこの付近にもある可能性は高く、新たな恐竜化石の発見が期待されます。

松尾層群の新たな化石採取に

3月28日の山際延夫さんの顕彰講演会が中止になったので、その代わりに松尾層の新たな化石調査で谷本さんと白根崎を訪ねる。白根崎にも松尾層群の泥岩などがあるので仲間がバケベリアの素晴らしい化石を発見していたのでその地を訪ねて、新たな採取を試みてみた。しかし、なかなか見つからず苦労していたがかすかにその存在が見つけられた。バケベリアは3~4cmぐらいの二枚貝で白亜紀に汽水域でたくさん生息していた。この日は潮時も良かったので大きく潮が引いた島をいろいろ探したが海藻は多かったが新たなものはなかなか見つけられなかった。

研究の紹介 磯部、恵利原広の谷を訪ねて

3月24日、午前中白根崎を訪ねた後、午後、志摩市磯部町恵利原の広の谷を訪ねた。ここは石灰岩が豊富に産出するのでその中にサンゴやウニの化石があるのではないかということで谷本さんと山下が調査に行った。伊勢道路入口の築地口のバス停から東側の林道を走り、1.1km余り登ったところに谷水が流れ落ちるところがあったので、そのから杣道を300m上ると谷沿いにたくさんの石灰岩の瓦礫が転がる場所に出た。谷本さんは20年前に訪ねた光景と変わらないということで付近の小石を探してみると灰色をした石灰岩がたくさん見つけられた。その中を丁寧に観察してみるとサンゴやウニの化石が見つけられた。わしも見つけた石を割ってみるとキラリと光る丸い化石のようなものが見つけられた。「ウニのトゲではないかと」いうことだった。中生代にウニのトゲは太さが1cm余りあるものだそうだ。ここはたくさんの化石がありそうなので今後は観察地にするといいのではないかという構想が谷本さんから提案された。

 この後鳥羽のガイドセンターに帰って今日の化石採集の検討会を有志で行った。なかなか熱の入ったも

のになった。特に伊勢の仲間が採取されたバケベリアの標本が素晴らしいのでこの化石研究を続けることにした。

磯部草木谷石灰岩の調査

10月12日、谷本正浩さんと山際延夫先生の鳥羽の地層調査の原点になった鳥羽の石灰岩調査のポイント、五知の草木谷の調査に行った。五知駅の東側から青峰さん登山道を100mあまり登り高圧鉄塔のところに出る。途中に大日如来像が祀られた祠あり。そこから保線道を頼りに山の中へ入る。200mばかり進んだところで目的のところに出たと思い周囲を調査したが白いチャートばかりでお目当ての石灰岩は見つからなかった。正確にはあと50mぐらい下に行くとよいようだがブッシュで道が見つからない。今回はそこで中止。代わりに赤色の層状チャートを見つけることができた。

山際延夫さんの顕彰記念講演会の開催 中止

 大阪教育大学教授を長く勤められ、鳥羽竜化石発見を導いた松尾層群の研究者の山際延夫さんが昨年89歳で亡くなられました。山際延夫さんは大阪学芸大学(現大阪教育大学)に勤められ、この地域の地層に関心を持ち長年研究を続けてこられました。そしてこの地域の地層から中生代白亜紀の貝化石や植物化石を発見し、地元の地名を生かして「松尾層群」と名付けられた。鳥羽竜化石も化石調査に来た化石研究家の仲間によって、この松尾層群の泥岩の中から発見された。この鳥羽竜化石発見につながる研究を長年続けてきた山際延夫さんの研究活動を顕彰し、次への新たなる発見につなげていくために講演会を開催します。ぜひご参加ください。

 期 日 令和2年3月28日(土)

          午後1時30分~3時30分

会 場 鳥羽商工会議所 かもめホール

       鳥羽市鳥羽東町1-7 0599-25-275

講 師  谷本 正浩さん  

        きしわだ自然資料館専門員 トバリュウ化石発見者

  大阪教育大学大学院修了.教育学修士.日本古生物学会特別会員.美術教育学を専攻し美術関係の論文を複数発表.一方,大学時代から地学関係でも山際教授の教えを受けた.爬虫類化石関係報告を多数出版し,国際シンポジウムでも発表している。「三重の恐竜時代」を発行 当日販売300

 

主 催 鳥羽恐竜研究振興会

 後 援 鳥羽市 鳥羽市教育委員会

 【申し込み先】 電話もしくは、裏面の用紙をご活用ください。

  鳥羽市鳥羽1丁目10-48 鳥羽市歴史文化ガイドセンター内 

  FAX 0599-25-8255

 電話 鳥羽恐竜研究振興会 事務局 山下直樹 080-5103-1366        

学生さんたちとの地質巡検

2019年9月27日、28日、北海道大学や東京大学の学生さんたちと鳥羽志摩地域地質巡検を行いました。

朝熊山山頂のカンラン岩、枕状溶岩、鳥羽安楽島の御荷鉾緑色岩類の様子、恐竜発見現場の地層、磯部のオウム岩などたくさんの地質をめぐりました。講師は鳥羽図福を調査発行した産業技術研究所の内野隆之さんでした。オーストラリアやフランスの教授たちも参加してくれました。

(写真は安楽島海岸、泥質片岩とチャートの石のペンギン像の前)

鳥羽の地質調査研究

  今回、鳥羽志摩地域の地質についての講演会を開催します。鳥羽市周辺の地形は風光明媚で自然の変化に富む場所です。何億年、何万年もの地球の歴史の中でのプレートの動きがいろいろな地質を造ってきています。この地域は西南日本の地質の基本構造(三波川変成帯、黒瀬川帯、秩父帯、四万十帯)が集まっているだけでなく、地震や断層など今後の防災・観光開発の上でも大事な地質です。どんな歴史があったのかみんなで考えてみましよう。 鳥羽周辺地域を5年間かけて緻密に調査した産業技術総合研究所の研究者がその成果を紹介してくれます。ぜひご参加いただきその成果をお聞きください。

★講演会の開催 講演会はたくさんの参加者に好評で無事終了しました。

鳥羽城の石垣の岩石調査

 鳥羽城の石垣は九鬼嘉隆が城主となった1594年鳥羽の城山に建築されました。当時豊臣秀吉が大坂城を築城していたときと重なったので嘉隆は忙しかったようです。「大阪城の石垣の石を三河の幡豆から運べ」との命令を下っていたようです。鳥羽城の築城では、鳥羽近辺の海岸やかっての支配下の砦などから運んだとも言われていますが、それらがどこから運ばれたか積みあげられた石から出所を探してみたいと思います。みなさんも一緒にチャレンジしてみてください。

調査の結果、鳥羽周辺の村々から集められた岩石で鳥羽城の石垣が作り上げられたことがわかりました。

青い石は玄武岩、緑色片岩、黒い石はカンラン岩、蛇紋岩、白い石は珪質片岩、チャートなどがありました。青い石は安楽島地域から、黒い石は城山、珪質片岩は小浜周辺、チャートは船津、加茂地域などから運ばれたのではないかと考えられました。詳細な資料はないので確証はできませんが、石垣の種類と鳥羽地域の地質からこのようなことが推理されました。三河の幡豆石は三の丸あたりにあったのではないかといわれていますが、これも資料がないので確証ができませんでした。近い将来築城の資料がどこかから発見されることを願っています。  (記 山下)